Designers Interview

TOZUKA
MAKOTO

DESIGNER & DIRECTOR

地方大学で中高の美術教諭の免許を取るものの教師にはならず、デザイン制作会社に就職。数社を渡り歩き100人のデザイナーに出会う。


このデザイナーへの質問・問い合わせ

http://100design.jp/contact

デザインとディレクション、ふたつの役割を器用に手がける外塚 誠。
 
きっかけは若さゆえの反骨精神。
 
美術教師にならなかった彼は、今となっては数十分単位で作業時間を刻む時間マネジメントの達人。
 
デザインの喜びや仕事への取り組み方など、じっくりと語ってもらった。
 

例えば下半身だけジャージの先生が僕のネクタイの乱れを指摘します。

取材者:今日はわざわざ仙台からお越しいただきありがとうございます!
よろしくお願いします。

外塚:こちらこそよろしくお願いします。

取材者:それではまず経歴を教えてください。どういう経緯でデザイナーになられたんですか?

外塚:中学校や高校の美術の先生になろうと大学で学んでいましたが、教育実習先の学校で「職員室や学校教師の空気」が無理だなーと感じて卒業後にデザイン制作会社に潜り込んだのがスタートです。

取材者:ちなみに、どんな空気だと感じたんですか?

外塚:例えば下半身だけジャージの先生が僕のネクタイの乱れを指摘します。若い僕は「は?そのアンタの珍奇な格好はどうなんだよ」と感じたワケです。そういう人間が校内で威張り散らしている。他にもありますが、要は「自分に甘い人たちが子どもらに綺麗ごとを説いている」と感じました。もうダメでしたね。「子どもみたいなオッサンが子どもを教えている」ようで。僕もまだまだ若造だったのだとは思いますが。

取材者:(笑)
私の学校にもいましたよ。あんまり頓着しない先生多かった気がしますね、30年前とか。
 

自分が手をかけた商品が本屋に平積みされている

取材者:デザインとの出会いはどんな?

外塚:グラフィックデザインとの出会いということなら、真面目に考えるようになったのは働き始めてからです。

取材者:グラフィックが面白いと思うようになったきっかけはありますか?

外塚:はじめて面白さを感じたのはデザイナーになって数年ほど経て、雑誌のアートディレクションをさせてもらった時です。自分が手をかけた商品が本屋に平積みされているのを見た時は感動しました。厳密にはグラフィックではなくエディトリアルですけど。

取材者:自分の作品が世に出ると、自分のステージが上がった気になりますよね。わたしもそうだった。

外塚さんはディレクターもやってますよね?そっちはどういう過程で身につけられたのでしょうか。

外塚:さっきいった雑誌のアートディレクションを通じて身につけましたね。身につけたというか、自分のスタイルを手探りで見つけ出した感じです。今も模索しています。

取材者:ディレクターのいる意味ってなんだと思いますか?

外塚:デザイナーたちのエゴをうまくクオリティに落とし込むこと。

取材者:デザイナーでありディレクターでもあるあなたにとって、理想的なデザイナーとディレクターの関係ってどういうものですか?

外塚:デザイナーとディレクターが「こうあるべき」という理想があるのか分かりません。肩書きが何であれ人と人との理想の関係は当人同士が納得して決めることだと考えるので。
 

作業時間を数十分単位まで分解して調整

取材者:きつかった仕事あれば教えてください。

外塚:「キツい仕事」というのは「頭を使っても終わりが見えない仕事」と「手を動かしても終わりが見えない仕事」の2種類があるんだろうと、個人的には。前者の解決はクライアントと徹底的に話し合うしかないです。後者は作業を限界まで合理化することだと考えています。当たり前といえば当たり前ですね。

取材者:作業を限界まで合理化。
そのためにどんなことを実行しているんですか?

外塚:作業を自動化することと、上手く人に仕事を振ること。あとはスケジューリングです。作業時間を数十分単位まで分解して調整します。

取材者:数十分単位ですか!?私の苦手そうな。。。確かにそこまで刻めば集中して打ち込めそうな気がします。

取材者:読者やユーザーに評価されたと思うご自身のデザイン制作実績を教えてください。

外塚:年刊の住宅雑誌をずっと担当していたことがあります。取材先で「読ませてもらっています」「地方の雑誌っぽくない、おしゃれですよね」と使い込んでボロボロになった雑誌を見せていただいたことがあります。評価いただいたのだと理解しています。