Designers Interview

HAYATO
YAMADA

DESIGNER

1984年金沢生まれ。
2002年3月石川県立工業デザイン科卒業後、金沢市内のデザイン事務所に10年間勤務。
2013年9月Hikidashiのアートディレクターに就任。2016年4月より東京支社を設立、活動の拠点を東京に移す。
2017年10月、取締役社長に就任。

[賞歴等]金沢ADC賞/金沢ADC新人賞/寿ビデオ大賞アクサダイレクト賞/2015 NIPPONの47人 2015 GRAPHIC DESIGN石川県代表/PAPER STOCK MEMBERS 2018メンバー等


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初めての営業で「直筆の手紙」を送る。

「自分に一度デザインさせてみてくれませんか」

手紙を送る相手はもちろん出会ったこともない方々。

中学生の頃からなりたかったデザイナーという職業。そのデザインや、デザインを通して見える本質など、熱い想いをじっくりと語ってもらった。


金沢で法人化、東京に行きたいと奥さんに言ったら「やってみろ」と。

取材者:よろしくお願いいたします。
それではまずは、会社を立ち上げた経緯や考えとか、非常に面白いチームだと思いますので、お聞かせ頂ければと思います。

山田:幼少期から絵を描くことが好きでした。高校のデザイン科を卒業後、金沢でデザイン会社に10年間在籍しました。その後独立しようと考えていたんですけど、このご時世一人なんて無理だと奥さんに言われ就職を勧められまして。

取材者:当時はもうご結婚されていたのですか?

山田:はい、結婚していました。ご縁があって金沢の出版社のデザイン部署に就職しました。しばらくの間は言われたことを黙々とやっていたのですが、なかなか自分が本当にやりたいデザインではないなという想いが徐々に強くなってきまして。そこで指示された仕事はしっかりとやりつつ、それとは別に自分自身で知り合いや代理店さんに営業活動を行いました。通常業務にプラスする形なので、当時はほとんど寝てなかった記憶があります。そしたら頑張りすぎたせいか、そっちの売り上げの方がたってしまって。前職で請求書の発行なども自分でしていたので、お金の大切さはわかっていました。ただやりたいことをやっていてもダメだということ認識はあったので、仕事の量・質・金額・スケジュール管理を意識しながらグイグイ攻めていくと、調子がいい感じになってきて、Hikidashiという部署を、Hikidashiという会社にしようと。

取材者:一部署?

山田:そうです、一部署だったのですが、5年前に株式会社Hikidashiに法人化しました。金沢で二年間活動してみて割と調子は良かったですね。実は弊社には大ボスがいまして「何かやりたいことあるか?」って聞かれ、「十代の頃夢に見ていた東京で勝負してみたいです」って、そしたら行ってこいよみたいな流れで。男前だなと思いました。その日に奥さんに「東京に行きたいって言ったら大ボスが良いって言うから挑戦してみたい」って話しまして。当時、子供が4ヶ月ぐらいで完全に断られると思っていたのですが、奥さんもやってみろよって。男前過ぎますよね。

取材者:いいですね。(笑)

山田:その時は僕は一緒に東京に行くつもりだったんですけど、行く新幹線でさようならみたいな。

取材者:ドラマのような。(笑)
 

「自分に一度デザインさせてみてくれませんか」と直筆の手紙。

山田:そこから単身赴任生活の始まりです。こっちで完全ゼロベースの新規開拓、こんな大きなマーケットで、地位も名誉もないデザイナーが一人で勝負するのは無謀だと100も承知でした。まずは繋がりを持つことが大切だと感じ、みどり荘というクリエイターさんが集うシェアオフィスを拠点にスタートしました。刺激が多いのでスキル面などは割と直ぐに上がるイメージができたのですが、やはり実際にお仕事をいただくことはすごく難しくて、四苦八苦していました。そこでご一緒してみたいクライアントさん、例えば星野リゾートさんなんかは、お手紙を送らせて頂いて「自分に一度デザインさせてみてくれませんか」みたいな結構強気な感じで。そしたら来てくれって。

取材者:凄い。

山田:ぐいぐいっという感じですね。

取材者:なるほどそういう形で自分で手紙を出したり、営業のスタイルが違いますよね。素晴らしい。ある意味デザインに自信があるからできる営業スタイルですよね。うちはね、どちらかというとビジネスモデル寄りなので、ちょっと変な言い方するとデザインのクオリティー自体を突き詰めていくような考え方って、実は僕自体そういう思考をあまり持ったことがないんです。どちらかというとお客様との人間関係とか、ビジネスモデルをどう構築していくかみたいなところを考えていますけど、非常にクオリティー持っている会社さんらしい考え方で、うち手紙書いても返事来ないですね。手紙ってどういう手紙ですか?

山田:直筆で「こう熱い想いを持っています」「なぜあなたと仕事をしたいか」とか。

取材者:言葉で押すんですね。

山田:ポートフォリオ付けて。
 

賞が名刺の肩書きになるという世界ではない。

取材者:前の出版社、Hikidashiという部署自体も面白い部署の名前ですが、元々出版社の中で違うビジネスをやろうとしていたんですか?

山田:そうです。営業さんから色々な営業ツール、たとえばロゴだったり名刺だったりの制作依頼が増えていて、それで新部署作ろうかという話になったときと、僕が企業に就職したいという時期が神がかったように重なりまして。

取材者:なるほど、では元々部署として活動されていて、売り上げとかは独立しなさいよということで株式会社化されて、PL的にというか成り立っていたところで独立という形ですか?

山田:ギリギリのラインです。

取材者:今社員、アルバイト、業務委託いらっしゃると思いますが、どういった体制で?

山田:今東京に私がいて、金沢のHikidashiメンバーに仕事を流しているというカタチです。グループ全体でいうとさらに20数名のデザイナーがいますので、色々なものができるというのが強みです。

取材者:では、制作にはそんなに問題がなくて、やはり集客的なところでしょうか?

山田:本来僕はアートディレクターとして色々なものを作りたいのですが、何せこういう立場になったので、営業面で頑張っているんですけど、どっちを見たら良いのかわからなくなって来て(笑)もう少しアートディレクションに目を向けたいなという時、でも営業面をやめるわけにはいかないので、考えた末に良い感じの集客力を持ったチームと繋がりたいという結論に至りまして。

取材者:それでJAZYブランディングに声を掛けて頂いたということなのですね。
でも星野リゾートさんとか案件としてやりたい仕事というところと、食べていくということとかライスワークとかよく言いますが、その辺というのは葛藤があったりとか、社長の立場とアートディレクターの人の立場の人はまた全然違うと思うのですが、その辺りは自分の中でどういう風に考えていますか?

山田:ずっと前からライスワークではなく、ライフワークという考え方でした。ですが地盤があってこそ、やりたい事ができるということをよく理解しています。ライスワークはシビアに売上管理しますが、逆にこっち(ライフワーク)の方は売上どうこうではなく仕事したいというのはあります。

取材者:山田さん自体は色々受賞とかもされていらっしゃいましたが、今の会社に入る前にもう受賞されていたんですか?

山田:はい、金沢時代に金沢アートディレクターズクラブでいくつか賞はいいただきました。さらに2015年ナガオカケンメイさん主催の「NIPPONの47人 2015 GRAPHIC DESIGN」という47都道府県から1名ずつ選抜されグラフィックデザイナーが集う展示会で、石川県代表に選出していただきました。調べたら当時31(歳)だったのですが、47人で一番若かったので、「これ東京で勝負できるんじゃないか!」と調子に乗って来てみたら完敗だったみたいな感じです(笑)

取材者:それだけが名刺の肩書きになるという世界でもないんですかね。

山田:ないですね。

取材者:でも周りの方載っている方全部見ている訳ではないのですが、基本的に会社に所属されている方もいればもう一本立ちして独立されている方も沢山いらっしゃって、あの賞を貰って箔がついて1人でやっていこうとか会社起こそうとか、そういう考え方はやっぱりありますよね。そういう意味では山田さんの場合はもう会社が出来ているタイミングだったのかもしれませんが、その辺り賞を獲る瞬間は次のステージに進もうみたいなきっかけにはなるんでしょうか?

山田:なりますね。昔はモチベーションや、自分の名前をもっと世に知らしめたいということで獲ろうとしていたのですが、最近は変わってきました。賞を獲るために少なからず時間やお金を使ってきたんですけど、それだったらその分をクライアントさんに使いたいとか思いますし。

取材者:マネジメントとか経営的な視点が入ってきているんですかね。
 

本質を引き出すという意味のHikidashi。ロジカルの部分は大事にしています。

取材者:東京に出てきてやっていらっしゃるという形で元々地盤が金沢というところでウェブサイトもそうですが、凄く出しているものとか文化的な香りとか東京にはない視点で攻めてきているなと思うのですが、山田さんご自身金沢というアイデンティティを生かしてとか、そういうところはあったりしますか?

山田:あります。金沢では和菓子や日本酒といった和の文化が多く残っていて、仕事においても伝統的な和の美しさと、トレンドを融合させるというか、そういうデザインをすると、新しいねと言ってくれるので、金沢魂的なところはあるんじゃないかなと。

取材者:ご出身は?

山田:金沢です。

取材者:東京に来ようと思ったのはやっぱり市場的な部分で東京に攻めようというところだったのですか?

山田:そうですね。新幹線が開通して、金沢にも沢山のデザイン事務所が東京から流れてきて、新しいことが生まれそうだなというのは感じていたんですが、向こうで10年くらいやっていて最後の方は同じ人と同じようなことを同じ流れで仕事していたので、これは3年5年これだなと思ったときに、どうだろうと。だったら逆輸入しようと思って。

取材者:大ボスに相談したら、東京行っても良いよと。

山田:そうです、首を縦に振ってくれました。頷いていたのか、寝ていたのかわからないですけど。(笑)

取材者:hihidashiさんとして例えば得意な分野を決めていらっしゃるとか、会社でどういうところを攻めたいとか、グラフィック、ウェブも当然出来ると思いますし、全体的にはブランディングでしょうけど、会社として方針とか考え方はありますか?

山田:本質を引き出すという意味のHikidashiなんですが、デザインに入る前の時間を凄く長くとるようにしていまして、そうやって本質を押さえていけばウェブでもグラフィックでも動画でも何でも行けるので、そこですね。なので「ここってどうしてこういう表現にしたの?」など部分的に聞かれても答えられるし、そういうロジカルの部分は大事にしています。ただ、全部が全部ではなく時々ノリかなみたいなのはありますけどね。(笑)

取材者:そういう見かけだとわからない、話していかないとわからないところありますね。コミュニケーションとる中で何をお客様が求めているかって、形から入ってしまうとどうしてもテクニカルだけになりがちですが、コミュニケーション取っていくと本質的にこの人これが欲しいのかなとか、こういうの作ってあげたいとかもう少しヒューマンなものが作れる感じはありますよね。

山田:パンフレット作りたいという事でお声がかかりで話しを伺うと、その人たちに向けたいのならウェブの方が良いんじゃないかとか、話によっては今しないほうが良いんじゃないかとか言いますし。仕事なくなりますけど。
 

もっともっとその人らしさを演出するような見せ方をしていきたい。

取材者:どこがその人が本当に求めているものなのかが大切なのかというところで、今テクニカルなところというお話しがありましたけど、山田さん自身はいつくらいから、例えば中学生高校生くらいからデザインの世界を意識されていましたか?

山田:中学生の時にはデザイナーになりたいと書いていました。幼稚園の発表会には絵描き屋さんと書いていました。絵が好きだったので。父が昔、設計をしていて。

取材者:建築ですか?

山田:そうです。母親は金沢ということもあって金箔系の仕事していて。兄は植木屋です。早いうちからデザインを学びたいという気持ちが強く、中学校のときにはもうデザイナーになりたいと決めていました。石川県内に唯一デザイン科がある高校に入学してました。当時はプロダクトデザイナーを目指していたのですが、気がついたらグラフィックになっていて。

取材者:デザインって、社長と直に話せたりしますよね。経営的な視点で話すというのは凄く大事なシーンってありますよね。経営的な見方とか、パンプレットにしてもカタログにしても営業的な要素をどういう風に入れて欲しいのかという感覚とか、デザインとかバランスとかブランド重視なのか、それとも要は売り上げが欲しいのか、そういう感覚も含めて通常のアートディレクターの方では足りないところも多少あったりして、そういうところは僕も凄く感じたりしますね。

山田:たくさんの社長さんと会う度に思うのが、現状のデザインに不満を抱いている経営者は多いということ。もったいないというか悲しいというか、見せ方で変わるのになというのがあるので、それは大企業にしても個人でもいいですけどとにかくもっともっとその人らしさを演出するような見せ方をしていきたいなというのはあります。

取材者:やはりその人らしさってホームページにも出ていて、キーワードで使っていらっしゃるところで、その素晴らしさや本質をどうやって引き出すかというところが、御社というか、山田さんのやりたいところ。

山田:はい。

取材者:いや、今日はいろいろお聞きできてよかったです。これからもぜひよろしくお願いします。

山田:ぜひ一緒になんか色々できると嬉しいですね。

取材者:ぜひぜひ!
今日はお時間ありがとうございました。