Designers Interview

SHIMOTAKAHARA
ISAMU

DESIGNER

1994年 東京デザイナー学院 卒業
2004年 広告デザイン事務所フォー・クリエイツ 起業
2013年 クリエイティブカンパニー 株式会社アスティフ 開業


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「20歳になったら、いちばん好きなものを仕事にする!」というルール

下高原:クリエイターとは「刀」を「筆」に持ち替えた現代のサムライと考えています。

取材者:ええ…、あ!プロフィール写真のことですね。
取材でインタビュアーより先に話始められたのは下高原さんが初めてですよ。
で、その、サムライ、そのこころは?

下高原:あ…、これは失敬。飲み屋の席と同じテンションで話しかけてしまいました。
サムライスピリッツ、武士道精神です。武士道精神には、美と自己規律という精神があり、商業デザインにも、美と自己規律の精神を常にまとい続けなければならない点が似ていると考えています。そして私の考える武士道精神とは、「美と規律、そして覚悟」だと思います。

取材者:ふーん。
元々どういう経歴でデザイナーになられたのですか?

下高原:スタントマンから警察官、次に漫画家、そしてデザイナーと憧れがジョブチェンジして…。
私の中で「20歳になったら、いちばん好きなものを仕事にする!」というルールが幼い頃にありました。仕事の概念も全くわからないくせに職業への執着心は高かったんです。

取材者:スタントマンからデザイナーですか?遷移がすごいから。
あれですよね、プロレスやってたんですもんね?だからスタントマンと警察官のところはしっくりくる。でも警察官から漫画家のところ、それって何かきっかけがあったんですか?

下高原:香港のアクションスター「鼻でか兄さん」、黄色と黒のエクスタシープロレスラー「虎兄さん」、僕は死にませんの「ハンガーデカ」などに憧れていましたね。

取材者:はい。

下高原:プロレスも大好物で、私の必殺技は「キン肉バスター」です。話がそれまくりました!

取材者:戻りますか?

下高原:警察官からのくだりは、刑事ドラマなどでよく見かける、人相描きってあるじゃないですか。これ、警視庁、警察官には人相描きの専門家はいないんです。警官が調書を行う際、手描きで人相を描いている。全警察官に絵心があるわけではありませんが、絵心があると人相描きを任されるパターンがあるんです。父が警察官で人相描きもやっていたこともあり、絵を書くことが好きな私にとっては、「警官って絵も描けるんだ!」と、幼い頃この話を聞き、驚いたことを覚えています。でも、早々にそんなチープな考えでは到底警官にはなれない現実に気付かされたんです。

取材者:早く気づきなさいよ。絵を描く人イコール警察官って思ってる人、この世にあなただけです。

下高原:そう、それで、絵を描きたいってことで、漫画家、デザイナーとジョブチェンジしていきました。漫画家はデザイナーになるよりも大変で、編集者への持ち込みで精神、人格、技術否定の三種の神器をくらい続け、作品応募では、記憶にも残らないという散々な結果に諦めを決意した19歳の夏をよく思い出します。

取材者:かっこよく締めようとしてますか。

下高原:「20歳になったら、いちばん好きなものを仕事にする!」というルールのカウントダウンが始まり、最後の砦となったデザイナーは、この身が滅んでも形にしていかなければと必死になっていました。専学卒業間近から就活をはじめましたが、元祖就職氷河期での就活は、とても苦労しました。ど素人が技術職へ挑んでいるです。当然ですよね。では、ど素人なりの武器を用意しよう!と。

取材者:ほ!ここからが本題ですね。

下高原:私が雇い主だったらどんなものに魅せられるだろう?ということを考え、就活では企業パンフレットならぬ、自分パンフレットを作り武器としました。

取材者:それはすごい行動力!

下高原:当時は、まだ写植、活版印刷があり、デザインもアナログでした。手作業で元版を作り、コピー機を駆使して、切った貼ったで、1冊ずつ丁寧に作って持参していましたね(笑)

取材者:今じゃWebでソーシャルとかほかにも自己メディア簡単に作れるからいいけど、当時のアナログって言ったら、それはそれは大変なことだったでしょうに。

下高原:自分パンフレット自体の企画は面白がってもらえたのですが、すぐに採用する企業はありませんでした。ただ卒業から3ヶ月、デザイン専学新卒者を探してる企業と出会い、この自分パンフレットが目に止まりました。結果は採用。晴れてデザイナー物語のはじまりです。採用通知をもらった時は、気絶するほど感激!即日、採用会社へ電話して出勤日を前倒しにしてもらったことを覚えています!
 

ただただ美味しいものをもっとちょうだい!例えるなら、お客さまのグルメ化。

取材者:めっちゃきつかった仕事と、その解決をどうやってなさったのか教えてください。

下高原:2015年ですよ。恐怖の戦慄は突如としてやってきました。
それまでは、20代の頃に某寝具メーカーの400ページの総合カタログ全国版を死にものぐるいでクリアして、これ以上のピンチはもうこない!と思ってたんです。どんなに大変な案件でも、あの400ページものから比べれば「あれより辛くないじゃん♪」と楽な気持ちでいました。

取材者:(笑)
以前お聞きしたことがある子下高原事件ですね。それしゃべってくださいよ。

下高原:ははは。恐怖の戦慄にはプチシモタカこと「コビト」が出るんです。
恐怖の戦慄案件は、少々ページの多いパンフレット、商材カタログに近い案件でした。初動時は、表紙、イントロページを数案制作。魅せる作り、凝った作りにして、残りのページは読みやすく、分かりやすい構成でテンプレート化して進めましょう。という内容に落ち着いていたんです。納期まで2ヶ月ちょいの工程でした。例としての架空のスケジュールを交えてお話しします。
12月中旬に案件のお問い合わせ、初動ヒアリング。2月中に納品という流れでした。
1月中旬に表紙とイントロページを数案ご提案させていただきました。それなりの感触があり、ご担当者さまも良い印象を持っていただきました。では残りの商材ページのフォーマットデザインをご提案させていただく段取りまで進行。フォーマットページを1月中に何点かご提案させていただいたある日、表紙とイントロページを、もう複数案提出してほしいとのご要望が入りました。前回のものがNGというわけではないが、他をもっと見てみたい!という内容でした。この現象は業界あるあるです。例えるなら、お客さまのグルメ化。舌が肥えてしまう現象です。この現象が起きると大体2パターンのケースで説明がつきます。

取材者:2パターン?

下高原:まずAパターン。自社の売り、自社の強み、自社のブランディング力をもっとデザインでブラッシュアップしたい!だから、もう少し無理を聞いてちょうだい!というパターン。
もう一つがBパターン。自社の売り、自社の強み、自社のブランディング力アップの目的から逸脱し、ただただ美味しいものをもっと食べたい!見たい!だからもっと、ちょうだい!っていうパターン。
この2パターンです。今回はBパターン。一番厄介なパターンです。交渉をおこないますが、全く通用しない。この変化球のトラブルに焦り「経験」を元に「まぁ、ここまでなら“あれ”よりは辛くない」と思い、お値段据え置きで複数案をご提案してます。長く出口の見えないトンネルのはじまりです。
当初2月納品だった日程は、気がつけば3月下旬。追加追加の修正砲に、新規新規の提案砲。まずい!これは非常にまずい!と。納期も2月から5月上旬に変更されてしまい、超サイヤ人4にでもならないと任務遂行できないレベルに達しました。さらに新規提案中に中面の大幅なレイアウト変更と修正、ますますお客さまのグルメ化が止まりません。3月下旬ころからは、だいぶ徹夜が続き、電車内で立ったまま寝るというラオウ状態が続きました。新規提案、修正対応のサイクルもかなりの変貌をとげ、早朝4〜5時までに中面修正を提出。日中は別案件や営業で外出。夕方ころ戻って修正の続きや新規提案の提出、打合せの続き、翌早朝には修正がほしいというトンデモ現象。わしゃどうすればええんじゃ!お客さまのグルメ化が発症し、複数案提案してくれたんだから修正も当然お願いできるんでしょ?にっこり、という事態に。完全に自分の善かれと思った経験が邪魔をしたケースです。しかし嘆いていてもはじまりません。止まない雨はない!と果敢に制作を進行!その結果は…。
無限ループのはじまりです。
4月いっぱいの記憶が丸々ないんです(笑)

取材者:(笑)ひと月まるまるですか。

下高原:ない記憶の中で、アンビリーバボー体験がありました。全く作業を行った記憶はないのに、んはっ!と気絶から蘇ると、そこには修正や提案が完了している画面が!何だ?!一体何がどうなった!?と狼狽えていました。そして、その謎現象の正体がついに判明!
「コビト」が現れ解決する瞬間を目にしたのです!

取材者:。゚(゚ノ∀`゚)゚。アヒャヒャ

下高原:コビト登場の瞬間、大きな黒耳で自分のことを名前で叫ぶ、ネズミのテーマソングが突然流れ出します!何だ!?と驚くと自分のお腹から鳩時計のように扉がパカっと開き、「ティ〜リリリリィ、リリリリりぃ〜….♪」とテーマソングとともに自分の顔をした、でも服装は童話に出てくるコビト服で、陽気(妖気?)にハイホー♪ハイホー♪と次々登場してくるんです(笑)

取材者:。゚(゚ノ∀`゚)゚。アヒャヒャ

下高原:謎です。ぇえ謎です。しかしコビトたちは、めちゃめちゃ楽しそうに「親方!この部分ざっくりいっちゃっていいっすか!」「お!親方、お疲れちゃん!」みたいな掛け声をかましながらキーボードを次々と打って、制作を仕上げる。テーマソングはずっと鳴ってる。多分、親方は私のことを指していたんだろうか…?と消えゆく意識の中、その光景を何度か目にしました。もう納品する覚悟だけが原動力でした。きっと覚悟の神様がコビトパワーをくれたんだと思います。そんなアンビリーバボー体験が功を奏したかはわかりませんが、5月上旬に無事納品できました。この時の反省は「経験が邪魔をする」でした。

取材者:いやあ、まいった。

下高原:別案件ではトラブルが起きても、「経験が邪魔をする」の反省をもとに解決しています。また成長できたという思いです。

取材者:ふぅ。
 

心がけていることは顕著化、差別化、明確化。顕著化とは?

取材者:パンフレット制作においての心得は?

下高原:顕著化、差別化、明確化。この3つを軸に、エッジを効かせたり、シンプルにしたり縦横無尽に展開することを心掛けています。

取材者:ほうほう。なんとなくわかった気でいたんですが、差別化と明確化はわかりました。
顕著化って具体的に何です?ある部分を強調したり目立たせたりするってことかな。

下高原:顕著化とは、ある目的を、ますますハッキリさせること。と私は定義します。
過去の事例ですと、サラリーマンへ語学留学生を促すパンフレット案件。この案件では、サラリーマンがビジネス英語の語学留学生としてネイティブ英語を学べるある国の各学校へ送り出すために募集したいという依頼でした。しかし、ある国への語学留学は他社競合が多すぎるのでデザインで何とかしてほしい。という内容でした。このお話を聞いたとき、この企業を熟知していない私は、サラリーマンは有給をとれるのかな?コストは?語学力の成果は?などの疑問が溢れました。この疑問の質疑応答、お客さまの漠然とした思いを聞き、掘り下げていくと、語学留学への信念を聞き出せました。ビジネス語学力アップは対象者も提供者もハードルが高いこと。高いハードルは飛び越えることで結果を出せるという信念を感じ取れました。その瞬間、「高飛び」というキーワードが直感で生まれたんです。

取材者:なるほど!

下高原:語学留学と高飛びなんて、水と油ですよね(笑)でも、顕著化するためには必要なワードでした。高飛びをキャッチコピーに盛り込むことはできない。かと言ってありきたりな「ここで新しい自分を発見してください」という表現には、あまりに顕著性がない。サラリーマンがビジネス英語力をネイティブで、わざわざ留学してまでおこなう工程は、言わば清水の舞台から飛び降りる覚悟…。お!?飛び降りる…。高飛び+飛び降りる+ハードルを超えるが浮かびました。高飛びは、棒高跳びへ変化されることでハードルを超えるシチュエーションもクリア。
早速制作に取り掛かります。まずイントロページを2案用意しよう。イラストとキャッチコピーでエッジを効かせよう。棒高飛びのシーンをイラストビジュアルで表現しよう。と導き出しました。このアイデアをイントロページ見開きで展開しようという提案を思いつき、単色のイラストでファッション雑誌のようなキャラクターが棒高跳びをするイラストと、2案目にビルから国へ走幅跳をするサラリーマンのイラスト2案を作りました。このビジュアルにエッジの効いたコピーもほしいなぁと考え、「自己スキルに衝撃を与えろ!」「インパクト留学」というキャッチを作成しました。この時点で顕著化の半分はクリアできたかなと考えています。サラリーマンが欲するスキルを、ますますハッキリさせることを演出できたと感じました。

取材者:すごい。聞き惚れてしまいました。
将来はどんなデザイナーになろうと思いますか?

下高原:アスティフという会社を経営していますのでデザイナー個人(私自身)の将来というより会社の将来としてお答えします。ここにお願いしたい、ここでなければとお客さまに思っていただける会社を目指しています。さらに、会社の将来としてはデザインだけで完結することなく異業種、別のサービスも絡めた事業展開、社員とお客さまが飽きない商いを発展させたいです。

取材者:あきないあきない。

下高原:春、夏、冬…

取材者:おー、うまい。(笑)
 
プロレスやってる話は以前お聞きしたことありますが、今もやってるんでしたっけ?

下高原:ここ2年くらいはやってないです。毎年プロレスを披露できる場所で、親子やちびっ子を楽しませていたのですが、場所を管理する団体から興行にNGが出てしまい開催できていません。とてもハッスルしたいです!でも、いつでもできるようカラダ作りは怠っていません(笑)その他、レスラー仲間とBBQをやったり、プロレス事情を肴に飲んだりなどの交流も続けています。いつか復活したいです!
 
元気があればなんでもできるダーっ!です。

取材者:プロレス界のレジェンドのやつですね。

下高原:はい!タバスコを広めたレジェンドです(笑)